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2011/12/03 10:00
Digraの会誌を指して「ゴールの見えない経過だけを見てるような気分」というのは的確だと思います。結局の所、ゲームを論じることの言いようのない不毛さに、誰もがぶつかって語り口が重くなっていくことの繰り返しなんです。ゲームについて真っ当に向き合おうとする人ほど、その困難さと向き合うことになります。東浩紀らの周辺がゲームの学術語りのパイオニアであるように振る舞えたのは、そんなことは百も承知とばかりにゲームについての論述を避けて通っていたからです。ですから「本当に、おはなしからしか語れかったのかな」というのは、まず、かつてゲーム論を語ろうとしては、その語り口から一歩奥へ踏み込む事の困難さでジャンルごとの語りに踏みとどまらざるを得ずにきてしまった、そういう事情があったんじゃないかと推測しないといけない。それが私の見解です。